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物人建築 日本からの挑戦 1
艸上花下 石上樹下
14歳で建築を志し、抽象空間の中で己の中心をみつめる家「瞑想真」を発表する。
学生時代は、「人間であること」や「作品であること」にこだわり、人間の生き方の理想を探求する手法として独自の理論と空間を構築し、世界に通じる精神的な作品をつくることに情熱を注いだ。

物 こそ 人 なれ
1975年に「 物人宣言〜物こそ人なれ! 」 天の声を聴き、物人 ・ Monobito を創流しました。
その後、展覧会や出版物を通して「社会芸術としての建築」を積極的に発表する。その当時の作品の中で、思い出深いものが2点ある。1点は、学内審査で第1席となり、日本建築学会の卒業制作全国巡回展に選出された「CONFUSION - マニュフェスト ブランク」。もう1点は、その理論をさらに発展させた「CONFUSION 混線」である。この作品は「新建築国際住宅設計競技」において、世界35カ国、応募者446人の中からグランプリを受賞し、審査員であったピーター・クック教授に「これは、最高の建築であり、私を恐怖させる」と評され、世界に衝撃を与えた。このピーター・クック教授との出会いが、後の私の建築的思考の基礎を形成した。

異文化 と 格闘
1997年の大学卒業を契機に渡欧し、作家活動を開始。そして1978年ロンドン AAスクールにて展覧会を開催し、前衛建築の頂点として知られるAAスクールを揺るがす「TAKASAKIの衝撃」と評価され、鮮烈なプロデビューをする。1977年からはシュトゥットガルト大学(ドイツ)、グラーツ工科大学(オーストリア)の教授と協働し、西洋建築の歴史と伝統を学び、ヨーロッパ文化を自身の生活に根ざした視点で体験したことが、現在においても構想し続けているヨーロッパ 〜 ペルシャ 〜 アジアの文化を結ぶ「海のシルクロード建築構想」の基点となっている。

物 人 へ の 道
1982年にTAKASAKI物人研究所を原宿に開設し、
「社会芸術としての建築」の理念を具現化するため、住まいから町づくり、そして全ての分野の造形やデザインの設計を開始する。

過疎 ・ 高齢化 に 光を
1990年にはア正治都市建築設計事務所を開設。少子・高齢化が厳しい過疎地域が抱える問題に正面から向き合い、人々の交流や地域の活力を高め、持続可能な地方建築の在り方を探求、具現化する計画「ものびとプロジェクト MONOBITO PROJECT」を始動し、各市町村に提示し続ける。そして自らの介護体験を通して得られた知見を元に、都市部の交流、市町村への政策、コミュニティーデザイン、子供造形教室、ものびと建築塾、文化誌デザイン、地域デザイン等の提案や活動を続けている。
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TAKASAKI ARCHITECTS
TAKASAKI MASAHARU
Univ.-Prof.Architect
Hon.F.RIBA

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